明るい未来のはずが…
内原さん(仮名)は、58歳の男性です。内原さんは35歳の時に、おじが経営する会社に転職しました。おじは、以前は公務員として公共事業に関係する仕事を責任ある立場で任されてきた人物であり、その人脈を生かして「巨大プロジェクトを成功させる」として会社を立ち上げました。

おじは、親族の中でも一目置かれるような人物であり、おじが中途に退官してまで行うその事業を成功させ、発展させることは、内原さんだけでなく親戚中の誰もが疑っていなかったそうです。
内原さんは、おじの会社で働く前は、隣接市の建設会社に勤務していましたが、その会社もおじの口利きで入社しており、いずれおじが立ち上げる会社に転職することを前提として、修行も兼ねて就職していました。
おじの会社はその当時、ある公共事業関連の施設の建設に関する大きなプロジェクトの受注が期待されていました。そのための資金が必要であるとして、会社は常に財政難であり、内原さんへの給料の支払いが滞ることがしばしばありました。数か月給料の支払いがないときには、多少蓄えた預金を切り崩して生活費に充てていました。
おじが、建設予定地近隣の住民を対象に説明会を開いたり、地元市長との面談を重ねたりしていたようなので、「事業は必ず成功する」というおじの言葉を信じて、内原さんは我慢するしかありませんでした。また、事業が成功して大きな見返りがあると信じていました。

しかし、間もなくおじの会社は、銀行等の金融機関からの借り入れが限界に達し、融資が受けられなくなったため、いわゆるノンバンク系から借り入れしたり、さらに、内原さんの同級生の紹介により複数の「街金」からも多額の借金をしてしまいました。内原さんは、「その頃におじに見切りをつけておけばよかった」と、あとに振り返って後悔していますが、おじを信用し依存し続けてしまい、複数の消費者金融から借金をしてまで給料が支払われないおじの会社に留まり続けました。
その後、手掛けていた事業の受注は失敗に終わったことをおじから聞かされました。おじには他からも様々な儲け話が持ち掛けられ、その度に興味を示し、関与しようとしてきましたが、ほとんどの事業が失敗に終わり、最終的に自宅を失い、連帯保証人になっていたおじの配偶者等、家族全員と共に自己破産をしたようです。
残されたのは「借金」だけ…
内原さんは、ついにおじの会社を退職しました。その頃、消費者金融等から700万円程度の借金を抱えていました。この返済の大半は、しばらく両親がしていたようです。内原さんを身内の問題に巻き込んでしまい、両親には、「申し訳ない」という気持ちと責任を感じていたようです。
内原さんは、元々両親との3人家族でしたが、28歳の時に結婚し、2人の子供に恵まれました。しかし、上の子が小学1年生の時に離婚し、二人の子供は前妻が引き取り、それ以来、子供たちとは一度も会っていないそうです。父親が他界した後は、母親と二人暮らしの生活でした。
その後、内原さんは、派遣社員として働きに出ましたが、以前におじから金策のため頼まれた際に連絡をとった同級生から久しぶりに連絡があり、飲食を共にした後、あろうことか友人の勧められるままに違法な薬物に手を出してしまいました。内原さんは、仕事や私生活のことで自暴自棄に陥っていたようですが、その日の誤った行動が、生涯に重大な悪影響を及ぼすことになってしまったのです。
間もなくして1回目の逮捕となりました。40歳でした。執行猶予となりましたが、仕事を失い、消費者金融への返済は一切できなくなりました。両親も、以前、おじに懇願され自宅に担保を付けた高金利のローンをおじに代わって返済しており、内原さんの支払いを助けることができなくなってきました。
その後、内原さんは54歳になり、消費者金融からの請求が続いていたため、母親に連れられて司法書士の元に相談に訪れました。しかし、その直後に3回目の逮捕となりました。その数年前に2回目の逮捕があり、その執行猶予期間中であったことから、執行猶予が取り消され、懲役刑の実刑判決を言い渡され刑に服したため、借金問題は棚上げになってしまいました。
※長くなるので、つづきにします。

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